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お仕事が始まりました

前回のエントリーで3つほど今年の目標を掲げてみたわけですが、仕事が始まり、「残業・休日出勤をしない」ために「GTD」を使って「スケジュール・タスク管理をする」という目標を振り返ってみます。

結果から言うと、今のところは成功です。1月5日から1月9日まで、すべて残業せずに定時で帰りました。働きたくないでござる!

ここらへんは、運用がうまくいったというより、まだタスクが少ないというのが大きいように思えます。3月までのプロジェクトとしては、追加機能の基本設計から結合テストという比較的大きなものですが、要件自体が決まっていないというです。設計書自体は、この週で粗方やっつけましたが、終わってるんだか、終わってないんだかよくわからない。システム屋の恐ろしいところですね。

実際の運用はどのような感じになったかというと、iPhoneの出番が極端に少なくなりました。ある程度は予測の範囲内とはいえ、ここまで少なくなるとは思いませんでした。使っているのは、手帳(フランクリン・プランナー)、メモ帳(モレスキン、ロディアNo.11)、iPhoneという感じです。

自宅では、A4のレタートレイが3つあって、「INBOX」、「いつかやる」、「資料」というようになっています。ロディアNo.11に気になることを書いて、「INBOX」に放り込む感じです。これは寝る前とかが多いですね。「INBOX」をすっ飛ばして「いつかやる」に入ることもあるし、手帳のタスクに入ることもあります。ケース・バイ・ケースです。

「いつかやる」に入っていることの一部はToodledoに登録しておきます。優先度と期限は設定しません。そうすれば、優先度が低くなって、目に付かないようになります(優先度、期限によって重要度が設定される)。「○○を買う」なんかが多いですね。

Toodledoにあるものは、終わったら完了、処理したら削除が基本です。例えば、今、「ゴミ箱を買う」という重要度2のタスクがあるんですが、なにもせずに買ったら完了です。もし、手帳の日々のタスクに移ったら削除になります。ToodledoはiPhoneのTodoと同期するので便利です。

プロジェクトは、大きいものは手帳のプロジェクトプランナーに入ります。Webアプリケーションを作るとか、びっくりするほど大きいのでプランナーに入れています。

小さいものはTodoledoのGoalsを設定します。親不知を抜かないと行けないので、今はそれがプロジェクトになっています。

  1. 歯医者を調べる
  2. 歯医者を予約する
  3. 歯医者へ行く

という3ステップですね。わざわざプランナーに書いておくほどでもないので、Goalsに「親不知を抜く」を作って、各タスクを入れてあります。

壮大な「いつかやる」は常にレタートレイに入ってるのも鬱陶しいので、Evernoteに箇条書きにしてあります。「転職する」とかいうのがありますね。

職場の方は自宅とは少々異なります。基本的に客先常駐という偽装派遣的な職務なので、レタートレイが置ける場所があるかどうかわかりません。長机とパソコンだけ用意されて、長机を2人でシェアということもよくあります。劣悪な作業環境なので、デスクがミカン箱ということも想定しておかないといかんわけです。

ただ、パソコンだけは確実にあるので、自宅がアナログに対して、職場はデジタルです。自宅のレタートレイに相当するものは、PCにフォルダを作り、「INBOX」フォルダに「○○をする」というファイル名だけのファイル(0 byteのファイル)を作っています。プロジェクトはExcelで管理(SEっぽいよ!)して、3日分くらいのタスクを手帳へ書き写しています。

どういう状況になっていれば帰っていいかを自分で決めます。俺の場合は、1日のタスクで優先度がAのものをやっつけて、それ以外のタスクが次の日のタスクになっていれば、帰ってOKです。優先度は、Aが今日中に終わらすこと、Bが今日中に終わらなくてもいいけど重要なもの、Cは今日中に終わらなくていいし、重要ではないものです。

優先度Aのタスクは定時30分前までに終わらせて、残りの30分で次の日のタスクを整理して、他の人の目を気にせず定時で帰ります。「お先に失礼します」は勇気がいる言葉ですが、慣れてしまえば怖くありません。

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あけましておめでとうございます

というわけで、2009年を迎えました。iPhoneエントリーで釣り上げるくせに、書いてることはライブのことばっかりというブログですが、今年もよろしくお願いします。今月はライブに行く予定はないので、このエントリーだけになるかもしれませんね。

さて、昨年はライブが充実していました。海外バンドを中心に月2〜3本というペースだったし、好きなバンド、見たかったバンドが数多く見れていい年でした。基本的に、仕事よりライブを優先させています。仕事はいつでもできるけど、ライブ(特に海外バンド)はその日だけです。いつ解散するかわからないしね。

そんなことばかりやっているので、昨年の仕事は、個人的にはまったく実りのない1年でした。せいぜいStrutsを初めて使ったくらいで、あとは何にもないです。Javaでプログラムを作って、単体テストする簡単なお仕事をしているだけでしたね。製造工程を先陣切ったのは比較的大きな実りだったかもしれませんが。

世の中は不景気と言われているので、おそらく冒険的な仕事はないでしょう。昨年同様、Javaでごにょごにょやる程度で落ち着きそうです。おそらく、外的な部分(やらされること)は前進がなさそうなので、内的な部分(自分でやること)を前進させないといけません。プライベートな時間を削り、仕事に反映させるという俺が大嫌いなことをしないといけないようです。

それを踏まえた上で、いくつかの目標を立ててみました。

  1. 残業・休日出勤をしない
  2. Webアプリケーションを作る
  3. Sun認定Javaプログラマ(SJC-P)を取ってみる

1.は後の2つをやるために必要なことです。去年は8月、9月に40時間くらいしてしまったので、これをなくします。0時間が理想です。多くても15時間程度にしたいです。

具体的には、時間管理とタスク管理で、管理手法としてはGTDを使います。実は年末にある程度準備をして、1月1日から運用を開始していたりします。まだ、最適化はされていないので、運用しつつやっていきます。iPhoneとフランクリン・プランナー(衝動買いしたんだよ!)を使ってやっていくつもりです。アジャイルな感じで。

2.は一応、経験年数3年目なので、ある種の集大成というか、まとめ的なものを作りたいというのが大きいですね。特にアフィリエイトで儲けようというような意図はありません。成果物が1つあれば、転職にも有利なんじゃないかなっていう意図はありますけどね。

バックエンドは流行に逆らってJavaを使うつもりです。ただし、フロントエンドはAjaxで、画面遷移が少なく軽量なものにしたいです。たぶん、APIを叩くだけの簡単なものになるでしょう。目標は、シンプルな機能で、柔軟な設計です。

3.は時間があればっていうか、下半期ですね。こいつを取らないと、あとの上位資格が取れないので、取っておこうって感じです。おそらくあっても無意味ですが、給料を手っ取り早く上げるには、これが近道です。唯一、興味がそそられる資格でもあります。ホントは、Perlとか、Rubyとか、LL言語がやりたいです。(誰か雇って下さい。残業なしで手取り20万円もらえるなら働きますよ!)

今年は、自己投資(笑)の年になるんじゃないかなって思っています。一応、こういう目標を書いておかないと、やらないので書いてみました。下手したら、書いてもやらないですけどね。あはは。

みなさんはどんな年にしたいですか?どんな年であれ、よいお年をお過ごし下さい。

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入場料を取る本屋は現実的でない気がするよ

書店は入場料を取って良い入場料を取る未来の書店を考えるというエントリーを読んでいたんですが、実に説得力がなくて面白い。書店からの視点が抜け落ちてるし、数字は入場料の「200円」しか出てこないんですね。じゃあ、実際、集客率はどれくらい上がるのか、という問題がまったく抜けてる。「けっこう入るんじゃね?」としか書いてないので、読む側としては「そうかもね」、「いや、そうじゃねー」と堂々巡りになってる。

まず、書店に入る客のことを考えてみます。どの本を買うか決め打ちで入るか、どの本を買うか決めないで入るか、どっちが多いかを考えると、おそらく後者の方が多いと思います。その中でもキーとなる客は「買うか買わないかよくわからないけど、とりあえず本は欲しいかもしれないし、欲しくないかもしれない」という客です。仕事や学校の帰りに、なんとなく店に寄ることってありますよね。そういう客って、意外と多いんですよ。

店にとって、見込み客という種類の客です。店にとっては、商圏に住む人や往来を行き交う人が見込み客になります。商品を買ってくれるかもしれない人が見込み客で、この人々をどう店に引きずり込むかがポイントです。店に入らなければ買いませんから、まず店に入れたいわけです。

そこで入場料という話になれば、見込み客は一気に減ります。買うかどうかもわからないのに入場料を払わなければいけません。戻ってくるとか、戻ってこないというは問題ではなく、払うという行為自体にコスト意識が働きます。それに、そこまでして店に入りたいという欲求は、この段階ではないんです。目的意識が低い段階で、ハードルを作ってしまうのは致命的です。

この時点で、「買うか買わないかよくわからないけど、とりあえず本は欲しいかもしれないし、欲しくないかもしれない」という客を失いました。この時点で、売上げはさほど伸びないように思います。むしろ、下がるんじゃないかな。

というのも、この書店の最大の欠点は、多くの目的意識が低い客を失っているところにあります。この客は、今日は買わなくても、明日は買うかもしれないんです。買わなくてもいいから店に入れて、「この店品揃えいいじゃん」とか、「このジャンルに強いんだ」とか、目的意識を高めさせないと集客率はいっこうに上がりません。店の前を素通りするだけの人にも、「この店、けっこう人入ってるな」とかポジティブな印象を与えなければいけません。

「立ち読み=悪」という図式自体が間違ってると思います。店に客がいるだけで、その店は繁盛しているように見えるんです。まったく客がいない店というのは、例え売上げがあっても、あまりいい印象は与えません。「流行ってない→なにかよくない」という思考が動くのが普通です。店としては、立ち読み客でもいてくれた方が、外面がいいんです。

次に数字的な話です。書店の利益率というのを調べたのですが、これがめっぽう低い。

1位のヴィレッジ・ヴァンガードが11.3%という驚異の数字を叩き出していますが、これは書籍以外の利益率も含まれているのでデータとしては妥当ではありません。ブックオフは中古の店なのでパスです。よく見かけるような大手でも、1%以下です。低いです。1000円の本を売ったら、利益は10円しか出てないということになります。残りの990円は、仕入れ値、人件費、家賃などで消えています。

で、同じサイトに書店売上げランキングがあったので、ここからある程度の利益を出すことが出来ます。1位の紀伊国屋書店の場合、117億円程度です。紀伊国屋の利益率は2006年度で0.4%なので、この数字から利益を出すと、4億6000万円です。

入場料徴収のためのシステムを捻出するのは明らかに不可能ですね。Wikipediaによると、自動改札機の価格は650万円〜1500万円だそうです。紀伊国屋の店舗数は61店舗なので、一番安い自動改札機を買っても、3億9000万円です。自動改札機だけでは意味ないので、ICカードを発行するための機械も必要になります。客数に比例して、ICカードのコストもかかります。こうなると、設備投資だけで新規出店と同じくらいかかりそうです。さらに、機器類のメンテナンス費用も毎年かかります。リースという手もありますが、毎年4億6000万円くらいで済むかどうかは微妙です。

俺が紀伊国屋に勤めていて、入場料徴収という案をプレゼンできるかといえば、この数字を見る限り不可能です。立ち読み客を減らすことが利益に繋がるかどうかすら微妙なのに、初期費用がテスト店舗だけでも1000万円を超えるわけです。だったら、立ち読み客だろうが、何だろうが気軽に店に入れる店舗作りを提案しますよ。

利益率が低い書店で、ピンポイントでターゲットを絞るのは得策とは思えません。利益率が1%である以上、客数を多く取るか、1人当たりの平均購入数を多くしないと会社として伸びません。そもそも、買おうと店に入ってくる客は、高確率で買うんです。それをわざわざ高いコストで囲う必要なんてなくて、むしろ、どうしたら立ち読み客が明日買うかを考えた方がメリットも大きいし、コストも小さいんです。

丸の内の紀伊国屋なんかは、そういう視点で店作りをしていますね。買う気もないのに、立ち寄りたくなります。そして、無駄な散財をして、紀伊国屋にやられたなぁと思ったりなんか。

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iPhoneの販売不振を喜ぶ人がいる

 iPhoneは販売不振らしい。国内では20万台売れているんだけど、これは売れているうちに入らないらしい。でも、iPhoneについてのエントリーを書くと、ページビューは妙なくらい伸びる。おそらく、他のケータイについて書いても、こんなに伸びないんじゃないかな。

 少し古い記事だけど、iPhone不振は「想定内」とKDDI小野寺社長 「スマートフォンよりケータイの方が使いやすい」なんてのがITmediaに載っていた。ユーザーにとって、スマートフォンとケータイのどちらが使いやすいかっていうのは、使い方によるよね。ケータイで満足している人が、スマートフォンに乗り換えるとは思えない。俺は、ケータイが非常に使いにくいので、iPhoneというスマートフォンを選んだ。

 冗長なインターフェイス、無駄な機能群、意味のわからないボタン。厚いマニュアル片手に、不親切なナビゲーションに従って、それらの意味を習得するなんていうケータイが優れたデバイスと呼べるかどうか、すごく疑問に思うけどね。キャリアやメーカーは、ケータイが登場してから今まで、この不便さを押し付けてきた。ユーザーは諦めと共に、キャリアやメーカーに飼い慣らされてきた。始めから使いにくいケータイしかなかったんだから、当然だよ。「なんて使いにくいんだ!ケータイなんてクソじゃないか!」と言うヒマすらなかった。

 iPhoneを触って、自分たちがどれだけ冗長で無意味なインターフェイスを作り続けてきたか、キャリアとメーカーは早く気付くべきだと思う。入力がQWERTY配列だの、テンキーだのというのは、まったく無意味な議論であることがわかるはずだ(ちなみに、iPhoneはテンキーでも入力できる)。ユーザーが必要なものがすべて目の前にあって、マニュアルがなくても操作できるインターフェイスは、誰が見ても素晴らしいはずだ。

 マニュアルは薄ければ薄いほどいい。いっそのこと、ないほうがいい。

 キャリアの経営者がiPhoneの販売不振を小躍りして喜んでいるっていうのは、絶望的な状況だよ。ヤツらは、今も分厚いクソみたいなマニュアルを印刷しようとしているんだからね。QWERTY配列か、テンキーかなんてのは、ユーザーが選ぶ問題で、キャリアやメーカーが選ぶ問題ではないんだよ。スマートフォンか否かも問題ではない。iPhoneの驚異が初めて出るのは、先駆的ユーザーがそのシンプルさを一般的ユーザーに伝えてしまうことだと思う。

 iPhoneが販売不振だなんて、誰でも予測できた。異質なものをすんなり受け入れるほど、人間は柔軟にできていない。それを待ち望んでいたのは、新しもの好きだけだ。そして、新しもの好きは20万人いた。彼らは、ブログやネットでiPhoneについて書くだろう。それを周りの100万人に伝えるだろう。彼らのほとんどは、未完成なiPhoneソフトウェアについての不満を言うと共に、その未来を期待している。たぶん、iPhoneの本当の驚異は、次の世代か、次の次の世代くらいだと思う。

 俺が初めてiPodを買ったのは、第三世代だった。iPodの存在なんて、誰も知らなかった。誰もが「それはなに?」と聞いてきた。iPodなんて、単なる新しもの好きが持つアイテムでしかなかった。でも、2年もしたら、誰もがiPodを持っていた。その間、メーカーはせっせとMDを作っていた。

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小2の算数が複雑らしい

「小2の算数が複雑すぎる」という噂によると、小学2年生の算数が複雑すぎるらしい。

件の問題は、

「くふうしてけいさんしましょう」というもの。

たとえば、以下の「52-8」という問題、「くふうしてけいさん」すると……。

 計算機やソロバンを使って計算するのかと思った。これが言っている工夫とは、文明の利器や先人の知恵を使うことではないらしい。学校の教科書に出てくる「工夫」というのは漠然としてよくわからない。一目見て答えは44であるんだけども、44に至るまでの過程を考えなさいっつーことらしい。数は好きなように分解できる、という特性を使い工夫するってことだね。

 無機質な数字に対して、意味のある単位を与えるとわかりやすくなる。最も有効な単位は「円」ですよ。金が絡むと、計算力、思考力がアップするライフハックを利用する。

 所持金が52円で、8円の商品を買いました。残る所持金はいくらでしょう?

 数字は自由に分解できる特徴で考える。所持金を分解する方法と商品の価格を分解する方法があるね。まずは所持金から分解してみる。

  1. 50円玉が1枚、1円玉が2枚
  2. 10円玉が5枚、1円玉が2枚
  3. 5円玉が5枚、1円玉が2枚
  4. 1円玉が52枚

 8円の商品を買うために、1円玉2枚ってのは中途半端なので手をつけることはない。50円玉、10円玉のどれかで支払うわけです。5円玉2枚というのもあるけど、これは10円玉1枚と同じなので無視。

 1の場合だと、50円玉で支払って、お釣りが42円。お釣りと手を付けなかった1円玉2枚を足して、残った所持金は44円。式にすると、

( 50 – 8 ) + 2 = 44

 2の場合だと、10円玉1枚で支払い、お釣りが2円。お釣りと手を付けなかった10円玉4枚と1円玉2枚を足して、残った所持金は44円。式にすると、

( 10 – 8 ) + ( 10 * 4 ) + 2 = 44

 次は、商品の価格を分解する方法。8円の商品を1つ買う場合と、2円と6円の商品を買う場合に分けられる。前者だと52- 8と変わってないので、後者をやる。イメージとしては、2円の商品を買った後に、6円の商品を買う。式にすると、

( 52 – 2 ) – 6 = 44

 すごくシンプルだと思うんだけど、どうだろう。

 俺が小2の時に、こんな問題あったかなぁ?とふと考えたんだけど、思い出せない。思い出せないのは当然で、当時の俺は学校行ってなかった。やってないものは思い出せないよね。

 52 – 8という式を見て、44という答えをすぐに出せる計算力というのも重要だとは思うけど、数字に対するアプローチ方法を選択できるっていう思考力の方が重要だと思う。むしろ、そういう思考力を学習する方が楽しいと思うしね。つまらない計算問題をバカの一つ覚えでやるより、ずっと意義のあることだと思う。

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ファーストフードが完全に機械化されることはない

 ファーストフードのバイトとかって価値なくなるよなってことをはてなの増田さんが書いていたので、ファーストフードで店長をやっていた俺がちょっと書いてみる。この増田さんが言っていることは、ある意味では正しい。アルバイトを雇うよりも、完全に機械化した方がランニングコストは、うんと下がる。人件費が売上げに占める割合っていうのは、店にもよるけど30〜40%ってところだろうか。原価+人件費で、売上げの半分以上は消えると考えていい。

 月100万円の売上げ(少ないよ、非常に)があったら、粗利で40万円程度、固定費(家賃とかの何もしなくても発生する費用)を差っ引いたら、ほとんど残らない。月100万円程度の売上げだったら、確実に赤字になる。店舗のスタッフが全部機械になれば、人件費は大幅に圧縮できる。それと求人広告も出さないし、人手不足の心配もないし、店長の気苦労もなくなる。すべては万々歳のように思える。

 しかし、いくら低コストだとしても、売上げが上がらなければ、店舗としては無価値なんだよ。店舗スタッフをすべて機械に置き換えたとして、売上げが前年比100%以上になるかどうか、という問題を無視している。世の中にある飲食店は、売上げを出して利益を得ることを目的としていて、客に安価な商品を提供することが目的ではない。安価な商品を提供するのは、利益を得るための手段でしかない。利益を出すためには、コスト削減以前に売上げを上げなければならない。つまり、コスト削減のために売上げを下げることは賢い選択ではない。それであれば、コストを上げた分を売上げで上昇分を回収した方がまだ賢いと言える。

 店舗を完全に機械化したとして、売上げが上がるだろうか。自動販売機のような機械のボタンを押すと、機械が調理した商品を出す店が、多くの人にとって魅力的だろうか。近所のマクドナルドからある日突然、すべての店員が消え去り、機械に置き換わる。奥では機械が肉を焼き、ポテトを揚げている。目の前では、できあがった商品を機械が袋に詰めている。すべての仕事は、迅速かつ正確に行われている。客は、その光景を無感情にただ見ている。そして、気付く。「自分は、金を払い、商品を受け取る機械なんだ」と。

 人間は欠陥品で、合理的に物事を考えることができない。その行動の多くは感情に流されるようにプログラムされている。多くの人は、極度に機械化された店を嫌うだろう。その店が合理的で、徹底的なコスト削減を行っているかどうかは、店を評価する基準ではない。自分が心地よく帰れるかどうかが、評価する基準となる。

 くら寿司は機械化されているが、オペレーションレベルの話だ。コストの大きい職人を使わずに安価なアルバイトを使い、ルーチンワークを機械化することに注力している。接客レベルでは、やはり人になる。

 生産性の問題は、店の売上げが上がれば生産性は勝手に上がる。月400万円と月1000万円の店では、生産性が全然違う。例えば、1時間に5万円売り上げるために、5人のスタッフが必要だとする。では、1時間に10万円売り上げるためには、10人のスタッフが必要かというと、そうでもない。おそらく7人いれば大丈夫だ。本当に1時間だけなら、5人で回る。スタッフの配置は決まっていて、店のキャパシティを極端に超えなければ、ある一定のスタッフ数だけで店は回る。だから、売上げが高ければ高いほど、スタッフ個々の能力に関係なく生産性が高い。

 それと、ファーストフードのアルバイトは機械化されていない。接客レベルに関して言えば、マニュアル化や機械化は昔の話で、今は脱マニュアル化が主流だ。企業によって異なるが、マニュアルはあくまでも基本というスタンスが多い。マニュアルを基本として、スタッフの自己判断でサービス行う店舗は、売上げも高いし、覆面調査員の評価も高い。

 店舗というのは良くも悪くも人が作っている。一見、マニュアル化されているように見えるが、実はスタッフそれぞれがマニュアルにないノウハウを持っていて、それを共有し、蓄積しているのが普通だ。何店舗か見てきたが、同じチェーン店でも、それぞれの店で雰囲気や仕事の進め方は違う。土地柄であったり、客層であったり、店の構成であったり、色々な要素が組み合わさって、最適化されている。それをやっているのは、店長ではなく、アルバイトだったりする。店長はアルバイトよりも早くその店からいなくなってしまうのが普通だからね。

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ネットカフェ難民に月15万円って無意味だよ、政策として

ネットカフェ難民に生活費、職業訓練条件に月15万円融資へ

 世の中の人は、「ネットカフェ難民に15万円なんて!」と嫉妬しているようです。ザ・低脳国家日本!月15万円(しかも半年。しかも融資)の端金でネットカフェ難民に嫉妬する日本人って、世界の恥さらしですね。同じ民族であることが恥ずかしいです。彼らには、絶対的な弱者が必要で、政府がネットカフェ難民を救済してしまうと、数少ない見下せる相手がいなくなってしまうので、必死です。そんなに羨ましければ、ネットカフェ難民になればいいじゃん。死にたくなるくらい辛いけどね。俺はやりたくない。

 そんなこと言っても、俺は、この政策は無意味だと思う。ネットカフェ難民は解決しなければならない社会の病巣だから、何らかの対策を打とうとすることには大賛成なんだけど、これは効果がないんじゃないかな。さっきも書いたけど、月15万円なんていうのは端金なんだよ。それを稼ぐことは大変だけど、その金で住居を借りて、アクションを起こせるほどの金ではない。

 脊髄反射だけで生きている人はわからないだろうけど、訓練中の労働は職業訓練で時間拘束が発生するから、それほど多くない。日雇いバイトだと8時間労働で7000円程度が相場になる。それが半日だと、4000円程度。しかも、半日っていうのは意外と少ない。おそらく、実質的な月収は20万円いくかいかないかになると思う。

 つまり、120万円 – 生活費の中から新しい住居を探して、就職活動に必要な資金を捻り出さないといけない。うまいこと就職したら、給料日までの生活費も必要になる。家賃5万円のボロアパートを借りたとしても、30万円は必要になる。水道光熱費も要るね。必要最低限の家財道具も必要。就職活動にはスーツも必要かもしれない。

 そういったコストを考えると、月15万円で救済っていうのは、ムリがあるように思う。そもそも、月15万円程度で救済できるなら、この世にネットカフェ難民というものは存在していないんじゃないだろうか。彼らの月収は15万円程度はあるはずなんだよ。それがネットカフェで暮らしているというのは、住居を手に入れるだけのコストを持ち合わせていないからなんだよね。それぞれの事情はあるにしろ、ここらへんは共通じゃないかと思う。

 だから、金、しかも端金を与えてもそれほど効果はない。そもそもの問題は、彼らに住居がないことなんだよ。金を与えるよりも、住居を与えた方が効果的だと思う。例えば、期間限定で公共住宅を無料で提供するとか、そういう対策だね。国会議員や役人の宿舎を廃止して、ネットカフェ難民あたりの住居を持てない人に提供すればいいんだよ。

 あとは、下宿制度の復活とかね。一軒家に独り暮らしの老人とかから間借りするっていう手もあると思うよ。都内だけでも、そういう世帯は、けっこうあるんじゃないかな。地域コミュニティの活性化だのと言うくらいなら、政府主導でこういうことをやればいいんだよ。老人が孤独死することもなくなるよね。まぁ、下宿先の人に死なれても困るんだけど。

 日本という国、日本人という国民は、貧困という問題をそれほど大きな問題として捉えられないし、貧困という問題を研究してこなかったからどう解決すればいいのかもわからない。だから、「本人の努力が足りないからだ」という低脳な精神論しか出てこない。「私は社会問題を考えてます」ってヤツらも、それほど考えてなくて、どこかで思考停止しているように見えるね。まぁ、社会学者や社会学者かぶれなんて、どいつもこいつも阿呆ばっかりってのが相場なんだけど。

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パンピーがGoogle Street Viewを見た時

 ブログ界隈で、Googleストリートビューが熱いらしいので、便乗しよう。「Googleストリートビューはプライバシーを侵害しておるよ!プンスカ!」という趣旨で、それ以上でもそれ以下でもないので、詳しいことは割愛。はてなブックマークでも見れば、何か載ってるよ。でも、このように怒れるブロガーってのは、おそらくほんの一部で、彼らはプライバシーによほど敏感か、もしくは見えない敵と戦うファイターなのです。普通の人、一般ピープル、現代っ子っぽく言うと、パンピーはそんなこと思わない。

 ある日、仕事から帰ると、彼女が「うわぁー。すごーい。なにこれー」と珍しくパソコンを見ながら、はしゃいでたんだよ。彼女はネットとメールしかできないタイプの人なんだけど、それが何やら妙に興奮しているので、何をやってるのか尋ねてみると、Googleストリートビューだった。どうやら、職場の人に教えてもらったらしい。

 かなり気に入ったらしく、鼻息荒く見入っていると、そのうち「家の前も見てみよう」と家の前の通りをグイグイと進んでいった。家の前に来ると、「なんだ。これしか写ってない」と非常にガッカリした様子だったので、360度回転できることを教えてあげた。そしたら、「家の中は見れないの?」だって!見れねーよ!

 おそらくこれが多くの人のGoogleストリートビューへの反応なんじゃないかな。むしろ、ストリートビューで自分の家だけがポッカリ抜けてたら、すごく嫌な気分になる。なんか、そうとうマズイもんでもあったんじゃねーかと思う。(死体とか)

 Googleストリートビューに自分の家が写されて、不快に思う人っていうのは、おそらく少数なんじゃないかと思う。「あ、写ってる!写ってる!」みたいな感覚で終わりなんだよ。むしろ、それについて騒ぎ立てると、家で幼女を監禁してるんじゃないかとか、大麻でも栽培してるんじゃないかとか、ネガティブに思われそうで嫌だ。

 俺は、システム屋だから色々な受け入れ先の企業へ行くんだよ。そうすると、誓約書みたいなのを書かされることがある。「機密を漏洩しません」的な誓約書を書くんだけど、住所とか全部ウソを書いてる。相手の企業を信用してないからね。週1ペースで、F○Vとかのダイレクトメールが送りつけられてきたら嫌じゃん。ヤツらが俺の個人情報をどう扱うかなんて、わからない。

 そんな俺でも、Googleストリートビューは不快にならない。なぜなら、集合住宅に住んでいるから。俺の家を写されても、俺がそこに住んでいることがわかる確率は低いし、俺の部屋番号まではわからないわけだ。それに、Googleストリートビューは、それほど解像度が高くないからね。何とも思わないな。まぁ、ここらへんは主観の問題になるけどね。それと、俺が街中をアホ面下げて歩いている姿を激写されても、何とも思わないよ。そんなこと気にしてたら、外歩けないからね。

 っつーか、こういうの慣れてるんだよ。実家に住んでた頃は「警察24時」系テレビ番組の暴走族コーナーで、近所の交差点とかが必ず写った。それどころか、厨二フルスロットルの頃にテレビインタビューされて、全国のお茶の間に登場しちゃったんだよ。「お前、テレビに出てるよ」っていうメールが来た。それに比べたら、ストリートビューなんて、かわいいもんだよ。河合我聞だよ。(ちょっと語呂がよさそうだったけど、そうでもなかった)

色恋沙汰の話は苛つくんだよ

 非モテの「どうせ俺は」とか、ヤリチンの「こんなアバズレとファックした」とか、スイーツ(笑)の夢物語とか、どんな色恋沙汰の話を聞いても苛つくのです。他人の色恋沙汰ほど、つまらん話はないのに、それをさも重大なコトのように語ることに対して、ものすごく苛つくんだよ。他人の女とか、どうだっていいじゃん。誰と誰がファックしようが、知ったことじゃねーんだよ。他人の性生活になんか、興味ないよ。

 俺は幼い頃に「自分が嫌なことは他人にもするな」という教育を受けたので、自分の色恋沙汰は他人に話さないことにしている。俺は、他人の色恋沙汰に興味がない。それを聞かされるのは苦痛でしかない。だから、人に自分の色恋沙汰について話さない。道徳的だなぁー。

 でも、その他大勢の人々は、そうじゃないらしい。他人の色恋沙汰について興味津々だし、他人の性生活が気になって仕方がないらしい。そして、自分の色恋沙汰を話したくて仕方がないし、性生活を暴露したいらしい。なんだろう。気が狂ってるんじゃないのか?そんなことを知って何になるんだ。そんなことを伝えて何になるんだ。犬も食わないような話をして何が楽しいのか、甚だ疑問に感じる。

 色恋沙汰ってのは、遙か昔から文学の中に存在している。人間の男と女が番いになるってのは、遙か昔からの人類のテーマなんだろうね。でも、それは自己完結的なものじゃないかと思う。異性に対する趣味趣向、思想哲学ってのは、他人が介在する余地がないじゃん。自分の中だけで完結する、完結すべき問題なんだから、わざわざ他人のそれについて話し合う必要なんて、まったくない。皆無だよ。

 しかし、それだけか。色恋沙汰トークがとんでもなく無価値だから、それを聞かされると苛つくだけだろうか。それ以外にも何か理由があるように思う。俺は、色恋沙汰について語るヤツを見ると、醜いと感じる。姿形じゃなく、その心が醜いように思う。とんでもない嫌悪感を感じるんだ。過去の嫌悪感を感じる会話を思い出してみると、そいつらは色恋沙汰について語ってはいるが、本心は別のことを話している。

 つまり、恋愛というオブラートに包んだ理想論であったり、自己陶酔であったり、見栄であったり、自慢であったりするからだ。見せかけだけの偽善者を見た時と同じような嫌悪感を覚えるのは、そのためだ。自分の美しいとは言えない本心を美しく見せようとする根性が苛つくんだ。

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エリートが没落してもいいじゃんか

 100年以上前はエリートで、世代を下るごとに没落していった家に生まれた俺がエリートについて書いてみるよ。

 とりあえず、家の話し。江戸時代は武家で、戦前までは刀や鎧甲があったらしい。江戸時代の先祖は、明治維新の時に幕府側へ付いた。時代は明治になり、残党狩りから這々の体で逃げ出し、名字を変えた。ちなみに、刀は曾じいさんの弟が質屋に入れて、飲み代にしちゃったので、もう残ってない。

 曾じいさんの代になって、家はそれなりに金持ちになった。床屋だったんだけど、奉公人もたくさんいて、先祖代々の墓ってヤツには、その奉公人の墓も建ってる。曾じいさんが建てたらしい。じいさんの姉は昭和初期に女学校に通ってたし、じいさんは奉公人に送り迎えされて幼稚園に通ってたらしい。それも第二次世界大戦で、焼夷弾の餌食になった。

 歴史の転換期はいつも負け組の我が家!歴史が違ってたら、俺も小セレブくらいにはなってたかもしらん。

 んで、現代。現代は幕末や昭和中期のような激動の時代ではない。でも、時代の変動は小刻みに起きてる。震度7の地震は起こらないけど、震度3くらいの地震は常に起きている。旧システムにしがみつこうとするエリートは、この震度に耐えきれない。明治維新で俺の家が没落したように、現代のエリートとやらも没落していくのは当然じゃないかな。

 それと同時に、時代を先読みできる、その時代に適した人が新たなエリートとなるわけだ。システムをうまいこと転がせる人よりも、新しいシステムを作れる人が優れたエリートとなる。そして、新しいエリートも古くなり、没落していく。適応地形が変動し、そこに適応できなくなった者から落ちぶれていくんだよ。何事もそういう風にできている。エリートっつっても、永久機関の中で生きているわけじゃない。

 ってことは、エリートの定義は時代毎に変わることになる。高学歴=エリートという定義は終わったのか。

 たぶん、Noだよ。新しい時代は古い時代を否定して存在しているわけでなく、止揚して存在している。古い部分は多少なりとも残る。もし、新しい時代が古い時代のすべてを否定したなら、日本はとっくにアメリカのような国になってただろうね。でも、完全に残っているわけじゃない。システムを上手に転がせる人々は未だに必要なんだけど、「ボチボチ転がせる」人は不必要になった。その代わり、新しいシステムを作れる人間が必要になった。徳川家康と織田信長を同時に必要としている。

 つまり、高学歴なのに中途半端な能力しかない人はいらねーんだ。エリート枠ってのは決まってるからね。「家康のみで」と言ってたのが、「やっぱり信長もいるよ」となれば、下の家康から足切りされていくんだね。学校ってのは、システムに忠実な人とシステムをうまく回せる人を作る装置だから、システムを作る人は学歴の外から生まれてくることが珍しくない。

 高学歴でも生え抜きのエリートはエリートだよ。「いい大学出たから、人生安泰だ」と思ってるようなヤツはダメなんじゃないかと思う。「いい大学も出たことだし、やってやっか」と何かヴィジョンを持ってる人は、まだエリートに属していると思うよ。

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