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派遣とかそういったもの

CNETにこんなエントリーがあった。

派遣切りって言っても3Kには行かないの? 選んでる余裕あるの?

ネット界隈での反応は色々ですね。俺にとっては他人事ですが、この人が言っていることは理解できるし、共感できますね。ただ、派遣というのは、いったい何のことを指しているのかよくわからないです。派遣と言われている職業形態にはいくつか種類があって、だいたい以下の3つに分けられます。

  1. 派遣社員
  2. 請負
  3. 期間工

派遣社員は一定期間(だいたい6ヶ月)毎に契約の更新を行います。給与体系は時給で、正社員と同じ程度の福利厚生が付きます。派遣会社の社員として扱われるところもあるようです。

請負は業務請負というヤツです。グッドウィルとか、日雇い派遣と呼ばれるものです。扱いとしてはアルバイトです。福利厚生はありません。驚くほど皆無で、交通費すら支給されなかったりします。

期間工は経験がないので知りませんが、タウンワークの裏表紙にTOYOTAあたりが出してるヤツです。1年の半年は期間工で働いて、残りの半年は海外を放浪して歩いてる人とかがいるみたいです。

世間で言われる派遣というのは、いったいどれを指しているんでしょう。どの形態も問題かもしれませんが、その中にいる人間は大きく違います。俺が経験したことがあるのは、1と2です。そこにいる人間の種類は、同じ人間とは思えないほど大きく違っていました。(この後は1を派遣社員、2を業務請負と呼びます)

派遣社員をやっていたのは、とある県立高校です。派遣会社が県立高校すべてへ派遣社員を送り込むという壮大なプロジェクトだったので、まんまと潜り込んだわけです。ただし、半年のみで契約更新はありませんでした。ここには、社会経験を積んでいる人も、そうでない人もいましたね。

業務請負は最長で半年、その後もちょこちょこやっていました。工場へ行く日もあれば、倉庫へ行く日もある。建築現場が多かったのですが、民家(全滅した家で遺品整理です)へも行ったし、色々です。集合場所へ集合して、点呼を取ったり取られたりして、その日の現場へ向かいます。初対面の人もいれば、いつも顔を合わせる人もいます。つまり、寄せ集めですね。

さて、この2種類の派遣ですが、そこで働いている人間の本質はまったく別のものだと言っていいでしょう。派遣社員は自分が社会の構成員であることを自覚しています。社会のために働き、その対価として賃金を貰うということを理解し、行動しています。

俺がやった仕事は、基本的にはヒマなお仕事なので、仕事中に資格取得やスキル向上のために勉強する人が多かったです。エリア毎に分けられたチームが円滑に仕事ができるようにメーリングリストを作ったり、意見を交換しあったりしていました。契約終了後は、この仕事をきっかけにNPOを作る人がいたり、独立したりした人もいました。

誰もが仕事というものに真剣に打ち込んでいました。というより、仕事を通して生きるということに真剣でしたね。半年限定の仕事に例外はなく、共通でしたが、それぞれの目標は違っても、仕事を通して成長を図るということをしていました。

一方で、業務請負の方は、これとは真逆です。もちろん、誰もがそうではありません。ただ、10人いて、仕事ができたり、仕事をしようとしたりするのは、3人、運がよければ5人程度です。その3〜5人は社会経験がある人か、たまに大学生ですね。どこかで正社員をしていて、止ん事無き理由で業務請負に流れてきたような人となぜか学業でなくバイトに励む大学生です。

残りの人達は、自分が社会の構成員であるという自覚はまったくありません。言われたことだけやっていればいいや、というような人です。仕事を通して何かをしようとしたり、一時しのぎのためだったりするようなこともありません。明日のことは考えているけど、来週のことは考えてないような人々です。もちろん、コミュニケーションもありません。仕事を円滑に進めることもしません。言われたことを決められた時間までやるだけです。まさに機械。

ある時、リーダーが俺にぼやいたことがあります。「仕事できる人を見分けるのは簡単だよ。あんな風に『人生どうでもいいや』という目をしてるヤツで仕事できるヤツがいたことはない」って。これと同じ事を考えていたので、激しく同意しました。

あと、様子がオカシイ人も多くいます。カテゴリー的には人生どうでもよくなちゃった人にさらに拍車をかけた人です。

派遣に知恵遅れが結構存在すること

おそらく、このブログで言っているのは、様子がオカシイ人のことでしょう。彼らは障害者ではありません。健常者と障害者の中間です。社会生活はできます。知能が確実に遅れているんです。電車に乗ったりすると、キモオタでもないし、メンヘルでもないし、障害者でもないけど、何だかよくわからないけど様子がオカシイから近寄りたくない人っているでしょう?アレです。目の焦点が定まってなかったり、不思議な負のオーラを背負っていることが多いです。

でも、こういった人と出会うことは稀です。こういう人達は、こういう人が集まる現場に行きます。工場や倉庫といった単純作業でコミュニケーションが必要ない現場ですね。こういった人を受け入れてくれる現場へ送り込まれます。俺は建築現場とか、ガテンな場所を希望していたので、こういう人とは会いませんでした。ただ、工場や倉庫で出会ってしまう確率は多かった。

こんなように、派遣社員と業務請負では人間の種類が大きく違います。業務請負という現場を一度見てしまうと、派遣という問題の見方が変わるかもしれません。グッドウィルとかは年中無休で面接をやっているので、行ってみたらどうでしょう。土日だけでもできたりしますよ。

俺が色々な現場(主に工場と倉庫)で見てきた限り、業務請負の人々に働く気はあまりありません。給料が安いだの、何だのとは言ってますが、彼らの労働意欲が低いのが一番大きな理由です。人生どうでもいいんだから、無理もありません。

一つだけ言えることは、彼らに寝床と食料を与えたら、さらに働くなるということだけです。それと、飲食業といったサービス業は絶対にできません。人と話せないし、話そうとしないし、仕事だと割り切ることもできません。そもそも、何をやってもダメな気がしますし、本人達もダメだと思っています。求人票を見ただけで、ダメだと思うのでしょう。「とにかくやってみよう」というポジティブな気持ちはありません。一切。

俺は非コミュですが、サービス業の正社員をしてました。店長もしてました。仕事だと割り切ってやってましたね。非コミュでも、できなくもない仕事ですが、仕事に対して真剣でなければできません。

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入場料を取る本屋は現実的でない気がするよ

書店は入場料を取って良い入場料を取る未来の書店を考えるというエントリーを読んでいたんですが、実に説得力がなくて面白い。書店からの視点が抜け落ちてるし、数字は入場料の「200円」しか出てこないんですね。じゃあ、実際、集客率はどれくらい上がるのか、という問題がまったく抜けてる。「けっこう入るんじゃね?」としか書いてないので、読む側としては「そうかもね」、「いや、そうじゃねー」と堂々巡りになってる。

まず、書店に入る客のことを考えてみます。どの本を買うか決め打ちで入るか、どの本を買うか決めないで入るか、どっちが多いかを考えると、おそらく後者の方が多いと思います。その中でもキーとなる客は「買うか買わないかよくわからないけど、とりあえず本は欲しいかもしれないし、欲しくないかもしれない」という客です。仕事や学校の帰りに、なんとなく店に寄ることってありますよね。そういう客って、意外と多いんですよ。

店にとって、見込み客という種類の客です。店にとっては、商圏に住む人や往来を行き交う人が見込み客になります。商品を買ってくれるかもしれない人が見込み客で、この人々をどう店に引きずり込むかがポイントです。店に入らなければ買いませんから、まず店に入れたいわけです。

そこで入場料という話になれば、見込み客は一気に減ります。買うかどうかもわからないのに入場料を払わなければいけません。戻ってくるとか、戻ってこないというは問題ではなく、払うという行為自体にコスト意識が働きます。それに、そこまでして店に入りたいという欲求は、この段階ではないんです。目的意識が低い段階で、ハードルを作ってしまうのは致命的です。

この時点で、「買うか買わないかよくわからないけど、とりあえず本は欲しいかもしれないし、欲しくないかもしれない」という客を失いました。この時点で、売上げはさほど伸びないように思います。むしろ、下がるんじゃないかな。

というのも、この書店の最大の欠点は、多くの目的意識が低い客を失っているところにあります。この客は、今日は買わなくても、明日は買うかもしれないんです。買わなくてもいいから店に入れて、「この店品揃えいいじゃん」とか、「このジャンルに強いんだ」とか、目的意識を高めさせないと集客率はいっこうに上がりません。店の前を素通りするだけの人にも、「この店、けっこう人入ってるな」とかポジティブな印象を与えなければいけません。

「立ち読み=悪」という図式自体が間違ってると思います。店に客がいるだけで、その店は繁盛しているように見えるんです。まったく客がいない店というのは、例え売上げがあっても、あまりいい印象は与えません。「流行ってない→なにかよくない」という思考が動くのが普通です。店としては、立ち読み客でもいてくれた方が、外面がいいんです。

次に数字的な話です。書店の利益率というのを調べたのですが、これがめっぽう低い。

1位のヴィレッジ・ヴァンガードが11.3%という驚異の数字を叩き出していますが、これは書籍以外の利益率も含まれているのでデータとしては妥当ではありません。ブックオフは中古の店なのでパスです。よく見かけるような大手でも、1%以下です。低いです。1000円の本を売ったら、利益は10円しか出てないということになります。残りの990円は、仕入れ値、人件費、家賃などで消えています。

で、同じサイトに書店売上げランキングがあったので、ここからある程度の利益を出すことが出来ます。1位の紀伊国屋書店の場合、117億円程度です。紀伊国屋の利益率は2006年度で0.4%なので、この数字から利益を出すと、4億6000万円です。

入場料徴収のためのシステムを捻出するのは明らかに不可能ですね。Wikipediaによると、自動改札機の価格は650万円〜1500万円だそうです。紀伊国屋の店舗数は61店舗なので、一番安い自動改札機を買っても、3億9000万円です。自動改札機だけでは意味ないので、ICカードを発行するための機械も必要になります。客数に比例して、ICカードのコストもかかります。こうなると、設備投資だけで新規出店と同じくらいかかりそうです。さらに、機器類のメンテナンス費用も毎年かかります。リースという手もありますが、毎年4億6000万円くらいで済むかどうかは微妙です。

俺が紀伊国屋に勤めていて、入場料徴収という案をプレゼンできるかといえば、この数字を見る限り不可能です。立ち読み客を減らすことが利益に繋がるかどうかすら微妙なのに、初期費用がテスト店舗だけでも1000万円を超えるわけです。だったら、立ち読み客だろうが、何だろうが気軽に店に入れる店舗作りを提案しますよ。

利益率が低い書店で、ピンポイントでターゲットを絞るのは得策とは思えません。利益率が1%である以上、客数を多く取るか、1人当たりの平均購入数を多くしないと会社として伸びません。そもそも、買おうと店に入ってくる客は、高確率で買うんです。それをわざわざ高いコストで囲う必要なんてなくて、むしろ、どうしたら立ち読み客が明日買うかを考えた方がメリットも大きいし、コストも小さいんです。

丸の内の紀伊国屋なんかは、そういう視点で店作りをしていますね。買う気もないのに、立ち寄りたくなります。そして、無駄な散財をして、紀伊国屋にやられたなぁと思ったりなんか。

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iPhoneの販売不振を喜ぶ人がいる

 iPhoneは販売不振らしい。国内では20万台売れているんだけど、これは売れているうちに入らないらしい。でも、iPhoneについてのエントリーを書くと、ページビューは妙なくらい伸びる。おそらく、他のケータイについて書いても、こんなに伸びないんじゃないかな。

 少し古い記事だけど、iPhone不振は「想定内」とKDDI小野寺社長 「スマートフォンよりケータイの方が使いやすい」なんてのがITmediaに載っていた。ユーザーにとって、スマートフォンとケータイのどちらが使いやすいかっていうのは、使い方によるよね。ケータイで満足している人が、スマートフォンに乗り換えるとは思えない。俺は、ケータイが非常に使いにくいので、iPhoneというスマートフォンを選んだ。

 冗長なインターフェイス、無駄な機能群、意味のわからないボタン。厚いマニュアル片手に、不親切なナビゲーションに従って、それらの意味を習得するなんていうケータイが優れたデバイスと呼べるかどうか、すごく疑問に思うけどね。キャリアやメーカーは、ケータイが登場してから今まで、この不便さを押し付けてきた。ユーザーは諦めと共に、キャリアやメーカーに飼い慣らされてきた。始めから使いにくいケータイしかなかったんだから、当然だよ。「なんて使いにくいんだ!ケータイなんてクソじゃないか!」と言うヒマすらなかった。

 iPhoneを触って、自分たちがどれだけ冗長で無意味なインターフェイスを作り続けてきたか、キャリアとメーカーは早く気付くべきだと思う。入力がQWERTY配列だの、テンキーだのというのは、まったく無意味な議論であることがわかるはずだ(ちなみに、iPhoneはテンキーでも入力できる)。ユーザーが必要なものがすべて目の前にあって、マニュアルがなくても操作できるインターフェイスは、誰が見ても素晴らしいはずだ。

 マニュアルは薄ければ薄いほどいい。いっそのこと、ないほうがいい。

 キャリアの経営者がiPhoneの販売不振を小躍りして喜んでいるっていうのは、絶望的な状況だよ。ヤツらは、今も分厚いクソみたいなマニュアルを印刷しようとしているんだからね。QWERTY配列か、テンキーかなんてのは、ユーザーが選ぶ問題で、キャリアやメーカーが選ぶ問題ではないんだよ。スマートフォンか否かも問題ではない。iPhoneの驚異が初めて出るのは、先駆的ユーザーがそのシンプルさを一般的ユーザーに伝えてしまうことだと思う。

 iPhoneが販売不振だなんて、誰でも予測できた。異質なものをすんなり受け入れるほど、人間は柔軟にできていない。それを待ち望んでいたのは、新しもの好きだけだ。そして、新しもの好きは20万人いた。彼らは、ブログやネットでiPhoneについて書くだろう。それを周りの100万人に伝えるだろう。彼らのほとんどは、未完成なiPhoneソフトウェアについての不満を言うと共に、その未来を期待している。たぶん、iPhoneの本当の驚異は、次の世代か、次の次の世代くらいだと思う。

 俺が初めてiPodを買ったのは、第三世代だった。iPodの存在なんて、誰も知らなかった。誰もが「それはなに?」と聞いてきた。iPodなんて、単なる新しもの好きが持つアイテムでしかなかった。でも、2年もしたら、誰もがiPodを持っていた。その間、メーカーはせっせとMDを作っていた。

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ファーストフードが完全に機械化されることはない

 ファーストフードのバイトとかって価値なくなるよなってことをはてなの増田さんが書いていたので、ファーストフードで店長をやっていた俺がちょっと書いてみる。この増田さんが言っていることは、ある意味では正しい。アルバイトを雇うよりも、完全に機械化した方がランニングコストは、うんと下がる。人件費が売上げに占める割合っていうのは、店にもよるけど30〜40%ってところだろうか。原価+人件費で、売上げの半分以上は消えると考えていい。

 月100万円の売上げ(少ないよ、非常に)があったら、粗利で40万円程度、固定費(家賃とかの何もしなくても発生する費用)を差っ引いたら、ほとんど残らない。月100万円程度の売上げだったら、確実に赤字になる。店舗のスタッフが全部機械になれば、人件費は大幅に圧縮できる。それと求人広告も出さないし、人手不足の心配もないし、店長の気苦労もなくなる。すべては万々歳のように思える。

 しかし、いくら低コストだとしても、売上げが上がらなければ、店舗としては無価値なんだよ。店舗スタッフをすべて機械に置き換えたとして、売上げが前年比100%以上になるかどうか、という問題を無視している。世の中にある飲食店は、売上げを出して利益を得ることを目的としていて、客に安価な商品を提供することが目的ではない。安価な商品を提供するのは、利益を得るための手段でしかない。利益を出すためには、コスト削減以前に売上げを上げなければならない。つまり、コスト削減のために売上げを下げることは賢い選択ではない。それであれば、コストを上げた分を売上げで上昇分を回収した方がまだ賢いと言える。

 店舗を完全に機械化したとして、売上げが上がるだろうか。自動販売機のような機械のボタンを押すと、機械が調理した商品を出す店が、多くの人にとって魅力的だろうか。近所のマクドナルドからある日突然、すべての店員が消え去り、機械に置き換わる。奥では機械が肉を焼き、ポテトを揚げている。目の前では、できあがった商品を機械が袋に詰めている。すべての仕事は、迅速かつ正確に行われている。客は、その光景を無感情にただ見ている。そして、気付く。「自分は、金を払い、商品を受け取る機械なんだ」と。

 人間は欠陥品で、合理的に物事を考えることができない。その行動の多くは感情に流されるようにプログラムされている。多くの人は、極度に機械化された店を嫌うだろう。その店が合理的で、徹底的なコスト削減を行っているかどうかは、店を評価する基準ではない。自分が心地よく帰れるかどうかが、評価する基準となる。

 くら寿司は機械化されているが、オペレーションレベルの話だ。コストの大きい職人を使わずに安価なアルバイトを使い、ルーチンワークを機械化することに注力している。接客レベルでは、やはり人になる。

 生産性の問題は、店の売上げが上がれば生産性は勝手に上がる。月400万円と月1000万円の店では、生産性が全然違う。例えば、1時間に5万円売り上げるために、5人のスタッフが必要だとする。では、1時間に10万円売り上げるためには、10人のスタッフが必要かというと、そうでもない。おそらく7人いれば大丈夫だ。本当に1時間だけなら、5人で回る。スタッフの配置は決まっていて、店のキャパシティを極端に超えなければ、ある一定のスタッフ数だけで店は回る。だから、売上げが高ければ高いほど、スタッフ個々の能力に関係なく生産性が高い。

 それと、ファーストフードのアルバイトは機械化されていない。接客レベルに関して言えば、マニュアル化や機械化は昔の話で、今は脱マニュアル化が主流だ。企業によって異なるが、マニュアルはあくまでも基本というスタンスが多い。マニュアルを基本として、スタッフの自己判断でサービス行う店舗は、売上げも高いし、覆面調査員の評価も高い。

 店舗というのは良くも悪くも人が作っている。一見、マニュアル化されているように見えるが、実はスタッフそれぞれがマニュアルにないノウハウを持っていて、それを共有し、蓄積しているのが普通だ。何店舗か見てきたが、同じチェーン店でも、それぞれの店で雰囲気や仕事の進め方は違う。土地柄であったり、客層であったり、店の構成であったり、色々な要素が組み合わさって、最適化されている。それをやっているのは、店長ではなく、アルバイトだったりする。店長はアルバイトよりも早くその店からいなくなってしまうのが普通だからね。

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ネットカフェ難民に月15万円って無意味だよ、政策として

ネットカフェ難民に生活費、職業訓練条件に月15万円融資へ

 世の中の人は、「ネットカフェ難民に15万円なんて!」と嫉妬しているようです。ザ・低脳国家日本!月15万円(しかも半年。しかも融資)の端金でネットカフェ難民に嫉妬する日本人って、世界の恥さらしですね。同じ民族であることが恥ずかしいです。彼らには、絶対的な弱者が必要で、政府がネットカフェ難民を救済してしまうと、数少ない見下せる相手がいなくなってしまうので、必死です。そんなに羨ましければ、ネットカフェ難民になればいいじゃん。死にたくなるくらい辛いけどね。俺はやりたくない。

 そんなこと言っても、俺は、この政策は無意味だと思う。ネットカフェ難民は解決しなければならない社会の病巣だから、何らかの対策を打とうとすることには大賛成なんだけど、これは効果がないんじゃないかな。さっきも書いたけど、月15万円なんていうのは端金なんだよ。それを稼ぐことは大変だけど、その金で住居を借りて、アクションを起こせるほどの金ではない。

 脊髄反射だけで生きている人はわからないだろうけど、訓練中の労働は職業訓練で時間拘束が発生するから、それほど多くない。日雇いバイトだと8時間労働で7000円程度が相場になる。それが半日だと、4000円程度。しかも、半日っていうのは意外と少ない。おそらく、実質的な月収は20万円いくかいかないかになると思う。

 つまり、120万円 – 生活費の中から新しい住居を探して、就職活動に必要な資金を捻り出さないといけない。うまいこと就職したら、給料日までの生活費も必要になる。家賃5万円のボロアパートを借りたとしても、30万円は必要になる。水道光熱費も要るね。必要最低限の家財道具も必要。就職活動にはスーツも必要かもしれない。

 そういったコストを考えると、月15万円で救済っていうのは、ムリがあるように思う。そもそも、月15万円程度で救済できるなら、この世にネットカフェ難民というものは存在していないんじゃないだろうか。彼らの月収は15万円程度はあるはずなんだよ。それがネットカフェで暮らしているというのは、住居を手に入れるだけのコストを持ち合わせていないからなんだよね。それぞれの事情はあるにしろ、ここらへんは共通じゃないかと思う。

 だから、金、しかも端金を与えてもそれほど効果はない。そもそもの問題は、彼らに住居がないことなんだよ。金を与えるよりも、住居を与えた方が効果的だと思う。例えば、期間限定で公共住宅を無料で提供するとか、そういう対策だね。国会議員や役人の宿舎を廃止して、ネットカフェ難民あたりの住居を持てない人に提供すればいいんだよ。

 あとは、下宿制度の復活とかね。一軒家に独り暮らしの老人とかから間借りするっていう手もあると思うよ。都内だけでも、そういう世帯は、けっこうあるんじゃないかな。地域コミュニティの活性化だのと言うくらいなら、政府主導でこういうことをやればいいんだよ。老人が孤独死することもなくなるよね。まぁ、下宿先の人に死なれても困るんだけど。

 日本という国、日本人という国民は、貧困という問題をそれほど大きな問題として捉えられないし、貧困という問題を研究してこなかったからどう解決すればいいのかもわからない。だから、「本人の努力が足りないからだ」という低脳な精神論しか出てこない。「私は社会問題を考えてます」ってヤツらも、それほど考えてなくて、どこかで思考停止しているように見えるね。まぁ、社会学者や社会学者かぶれなんて、どいつもこいつも阿呆ばっかりってのが相場なんだけど。

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パンピーがGoogle Street Viewを見た時

 ブログ界隈で、Googleストリートビューが熱いらしいので、便乗しよう。「Googleストリートビューはプライバシーを侵害しておるよ!プンスカ!」という趣旨で、それ以上でもそれ以下でもないので、詳しいことは割愛。はてなブックマークでも見れば、何か載ってるよ。でも、このように怒れるブロガーってのは、おそらくほんの一部で、彼らはプライバシーによほど敏感か、もしくは見えない敵と戦うファイターなのです。普通の人、一般ピープル、現代っ子っぽく言うと、パンピーはそんなこと思わない。

 ある日、仕事から帰ると、彼女が「うわぁー。すごーい。なにこれー」と珍しくパソコンを見ながら、はしゃいでたんだよ。彼女はネットとメールしかできないタイプの人なんだけど、それが何やら妙に興奮しているので、何をやってるのか尋ねてみると、Googleストリートビューだった。どうやら、職場の人に教えてもらったらしい。

 かなり気に入ったらしく、鼻息荒く見入っていると、そのうち「家の前も見てみよう」と家の前の通りをグイグイと進んでいった。家の前に来ると、「なんだ。これしか写ってない」と非常にガッカリした様子だったので、360度回転できることを教えてあげた。そしたら、「家の中は見れないの?」だって!見れねーよ!

 おそらくこれが多くの人のGoogleストリートビューへの反応なんじゃないかな。むしろ、ストリートビューで自分の家だけがポッカリ抜けてたら、すごく嫌な気分になる。なんか、そうとうマズイもんでもあったんじゃねーかと思う。(死体とか)

 Googleストリートビューに自分の家が写されて、不快に思う人っていうのは、おそらく少数なんじゃないかと思う。「あ、写ってる!写ってる!」みたいな感覚で終わりなんだよ。むしろ、それについて騒ぎ立てると、家で幼女を監禁してるんじゃないかとか、大麻でも栽培してるんじゃないかとか、ネガティブに思われそうで嫌だ。

 俺は、システム屋だから色々な受け入れ先の企業へ行くんだよ。そうすると、誓約書みたいなのを書かされることがある。「機密を漏洩しません」的な誓約書を書くんだけど、住所とか全部ウソを書いてる。相手の企業を信用してないからね。週1ペースで、F○Vとかのダイレクトメールが送りつけられてきたら嫌じゃん。ヤツらが俺の個人情報をどう扱うかなんて、わからない。

 そんな俺でも、Googleストリートビューは不快にならない。なぜなら、集合住宅に住んでいるから。俺の家を写されても、俺がそこに住んでいることがわかる確率は低いし、俺の部屋番号まではわからないわけだ。それに、Googleストリートビューは、それほど解像度が高くないからね。何とも思わないな。まぁ、ここらへんは主観の問題になるけどね。それと、俺が街中をアホ面下げて歩いている姿を激写されても、何とも思わないよ。そんなこと気にしてたら、外歩けないからね。

 っつーか、こういうの慣れてるんだよ。実家に住んでた頃は「警察24時」系テレビ番組の暴走族コーナーで、近所の交差点とかが必ず写った。それどころか、厨二フルスロットルの頃にテレビインタビューされて、全国のお茶の間に登場しちゃったんだよ。「お前、テレビに出てるよ」っていうメールが来た。それに比べたら、ストリートビューなんて、かわいいもんだよ。河合我聞だよ。(ちょっと語呂がよさそうだったけど、そうでもなかった)

色恋沙汰の話は苛つくんだよ

 非モテの「どうせ俺は」とか、ヤリチンの「こんなアバズレとファックした」とか、スイーツ(笑)の夢物語とか、どんな色恋沙汰の話を聞いても苛つくのです。他人の色恋沙汰ほど、つまらん話はないのに、それをさも重大なコトのように語ることに対して、ものすごく苛つくんだよ。他人の女とか、どうだっていいじゃん。誰と誰がファックしようが、知ったことじゃねーんだよ。他人の性生活になんか、興味ないよ。

 俺は幼い頃に「自分が嫌なことは他人にもするな」という教育を受けたので、自分の色恋沙汰は他人に話さないことにしている。俺は、他人の色恋沙汰に興味がない。それを聞かされるのは苦痛でしかない。だから、人に自分の色恋沙汰について話さない。道徳的だなぁー。

 でも、その他大勢の人々は、そうじゃないらしい。他人の色恋沙汰について興味津々だし、他人の性生活が気になって仕方がないらしい。そして、自分の色恋沙汰を話したくて仕方がないし、性生活を暴露したいらしい。なんだろう。気が狂ってるんじゃないのか?そんなことを知って何になるんだ。そんなことを伝えて何になるんだ。犬も食わないような話をして何が楽しいのか、甚だ疑問に感じる。

 色恋沙汰ってのは、遙か昔から文学の中に存在している。人間の男と女が番いになるってのは、遙か昔からの人類のテーマなんだろうね。でも、それは自己完結的なものじゃないかと思う。異性に対する趣味趣向、思想哲学ってのは、他人が介在する余地がないじゃん。自分の中だけで完結する、完結すべき問題なんだから、わざわざ他人のそれについて話し合う必要なんて、まったくない。皆無だよ。

 しかし、それだけか。色恋沙汰トークがとんでもなく無価値だから、それを聞かされると苛つくだけだろうか。それ以外にも何か理由があるように思う。俺は、色恋沙汰について語るヤツを見ると、醜いと感じる。姿形じゃなく、その心が醜いように思う。とんでもない嫌悪感を感じるんだ。過去の嫌悪感を感じる会話を思い出してみると、そいつらは色恋沙汰について語ってはいるが、本心は別のことを話している。

 つまり、恋愛というオブラートに包んだ理想論であったり、自己陶酔であったり、見栄であったり、自慢であったりするからだ。見せかけだけの偽善者を見た時と同じような嫌悪感を覚えるのは、そのためだ。自分の美しいとは言えない本心を美しく見せようとする根性が苛つくんだ。

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