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パンピーがGoogle Street Viewを見た時

 ブログ界隈で、Googleストリートビューが熱いらしいので、便乗しよう。「Googleストリートビューはプライバシーを侵害しておるよ!プンスカ!」という趣旨で、それ以上でもそれ以下でもないので、詳しいことは割愛。はてなブックマークでも見れば、何か載ってるよ。でも、このように怒れるブロガーってのは、おそらくほんの一部で、彼らはプライバシーによほど敏感か、もしくは見えない敵と戦うファイターなのです。普通の人、一般ピープル、現代っ子っぽく言うと、パンピーはそんなこと思わない。

 ある日、仕事から帰ると、彼女が「うわぁー。すごーい。なにこれー」と珍しくパソコンを見ながら、はしゃいでたんだよ。彼女はネットとメールしかできないタイプの人なんだけど、それが何やら妙に興奮しているので、何をやってるのか尋ねてみると、Googleストリートビューだった。どうやら、職場の人に教えてもらったらしい。

 かなり気に入ったらしく、鼻息荒く見入っていると、そのうち「家の前も見てみよう」と家の前の通りをグイグイと進んでいった。家の前に来ると、「なんだ。これしか写ってない」と非常にガッカリした様子だったので、360度回転できることを教えてあげた。そしたら、「家の中は見れないの?」だって!見れねーよ!

 おそらくこれが多くの人のGoogleストリートビューへの反応なんじゃないかな。むしろ、ストリートビューで自分の家だけがポッカリ抜けてたら、すごく嫌な気分になる。なんか、そうとうマズイもんでもあったんじゃねーかと思う。(死体とか)

 Googleストリートビューに自分の家が写されて、不快に思う人っていうのは、おそらく少数なんじゃないかと思う。「あ、写ってる!写ってる!」みたいな感覚で終わりなんだよ。むしろ、それについて騒ぎ立てると、家で幼女を監禁してるんじゃないかとか、大麻でも栽培してるんじゃないかとか、ネガティブに思われそうで嫌だ。

 俺は、システム屋だから色々な受け入れ先の企業へ行くんだよ。そうすると、誓約書みたいなのを書かされることがある。「機密を漏洩しません」的な誓約書を書くんだけど、住所とか全部ウソを書いてる。相手の企業を信用してないからね。週1ペースで、F○Vとかのダイレクトメールが送りつけられてきたら嫌じゃん。ヤツらが俺の個人情報をどう扱うかなんて、わからない。

 そんな俺でも、Googleストリートビューは不快にならない。なぜなら、集合住宅に住んでいるから。俺の家を写されても、俺がそこに住んでいることがわかる確率は低いし、俺の部屋番号まではわからないわけだ。それに、Googleストリートビューは、それほど解像度が高くないからね。何とも思わないな。まぁ、ここらへんは主観の問題になるけどね。それと、俺が街中をアホ面下げて歩いている姿を激写されても、何とも思わないよ。そんなこと気にしてたら、外歩けないからね。

 っつーか、こういうの慣れてるんだよ。実家に住んでた頃は「警察24時」系テレビ番組の暴走族コーナーで、近所の交差点とかが必ず写った。それどころか、厨二フルスロットルの頃にテレビインタビューされて、全国のお茶の間に登場しちゃったんだよ。「お前、テレビに出てるよ」っていうメールが来た。それに比べたら、ストリートビューなんて、かわいいもんだよ。河合我聞だよ。(ちょっと語呂がよさそうだったけど、そうでもなかった)

エリートが没落してもいいじゃんか

 100年以上前はエリートで、世代を下るごとに没落していった家に生まれた俺がエリートについて書いてみるよ。

 とりあえず、家の話し。江戸時代は武家で、戦前までは刀や鎧甲があったらしい。江戸時代の先祖は、明治維新の時に幕府側へ付いた。時代は明治になり、残党狩りから這々の体で逃げ出し、名字を変えた。ちなみに、刀は曾じいさんの弟が質屋に入れて、飲み代にしちゃったので、もう残ってない。

 曾じいさんの代になって、家はそれなりに金持ちになった。床屋だったんだけど、奉公人もたくさんいて、先祖代々の墓ってヤツには、その奉公人の墓も建ってる。曾じいさんが建てたらしい。じいさんの姉は昭和初期に女学校に通ってたし、じいさんは奉公人に送り迎えされて幼稚園に通ってたらしい。それも第二次世界大戦で、焼夷弾の餌食になった。

 歴史の転換期はいつも負け組の我が家!歴史が違ってたら、俺も小セレブくらいにはなってたかもしらん。

 んで、現代。現代は幕末や昭和中期のような激動の時代ではない。でも、時代の変動は小刻みに起きてる。震度7の地震は起こらないけど、震度3くらいの地震は常に起きている。旧システムにしがみつこうとするエリートは、この震度に耐えきれない。明治維新で俺の家が没落したように、現代のエリートとやらも没落していくのは当然じゃないかな。

 それと同時に、時代を先読みできる、その時代に適した人が新たなエリートとなるわけだ。システムをうまいこと転がせる人よりも、新しいシステムを作れる人が優れたエリートとなる。そして、新しいエリートも古くなり、没落していく。適応地形が変動し、そこに適応できなくなった者から落ちぶれていくんだよ。何事もそういう風にできている。エリートっつっても、永久機関の中で生きているわけじゃない。

 ってことは、エリートの定義は時代毎に変わることになる。高学歴=エリートという定義は終わったのか。

 たぶん、Noだよ。新しい時代は古い時代を否定して存在しているわけでなく、止揚して存在している。古い部分は多少なりとも残る。もし、新しい時代が古い時代のすべてを否定したなら、日本はとっくにアメリカのような国になってただろうね。でも、完全に残っているわけじゃない。システムを上手に転がせる人々は未だに必要なんだけど、「ボチボチ転がせる」人は不必要になった。その代わり、新しいシステムを作れる人間が必要になった。徳川家康と織田信長を同時に必要としている。

 つまり、高学歴なのに中途半端な能力しかない人はいらねーんだ。エリート枠ってのは決まってるからね。「家康のみで」と言ってたのが、「やっぱり信長もいるよ」となれば、下の家康から足切りされていくんだね。学校ってのは、システムに忠実な人とシステムをうまく回せる人を作る装置だから、システムを作る人は学歴の外から生まれてくることが珍しくない。

 高学歴でも生え抜きのエリートはエリートだよ。「いい大学出たから、人生安泰だ」と思ってるようなヤツはダメなんじゃないかと思う。「いい大学も出たことだし、やってやっか」と何かヴィジョンを持ってる人は、まだエリートに属していると思うよ。

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