2006年のフランス映画。邦題の通り、モンテーニュ通りのカフェが舞台。
モンテーニュ通りのカフェ「カフェ・ド・テアトル」の正面にはシャンゼリゼ劇場、それに隣接してコメディ・エ・ストゥディオ・デ・シャンゼリゼ、ドルオ=モンテーニュがある。そのカフェでギャルソンとして働くことになったジェシカは、シャンゼリゼ劇場でコンサートを控えるピアニスト、コンサートの日に退職する管理人、コメディ・エ・ストゥディオ・デ・シャンゼリゼで舞台初日を迎える女優、ドルオ=モンテーニュでオークションを開催する資産家と出会い、それぞれの人生(物語)を垣間見る。
運命の交差というか、人生の詰め合わせというフランス映画が得意とする映画の一つです。登場人物それぞれが思いや悩みを持って、17日のコンサート、舞台、オークションを迎え、それぞれのエンディングを迎えるという構成です。苦悩を抱えてるとはいえ重々しさは一切感じませんでした。登場人物同士は本当にカフェで知り合った程度の関係性で、1本の映画というより、オムニバスっぽい感じがします。
序盤はかなりシーンをすっ飛ばしていて、ジェシカがパリに出てきた動機がなんだかよくわからなかったりして、「え?着の身着のままでパリに来たの?」と驚いたりしました。最初からグダグダとした背景描写はほとんどせずに、テンポよく進んでいくのでペースを掴むのに少し時間がかかりましたが、ジェシカが生い立ちを話そうとする時に「長くなるから」と前置きしてすぐにシーンが変わるあたりで、「あぁ、そういう映画なのか」と理解できました。
ピアニスト役のアルベール・デュポンテルという人がとてもいい演技をしてました。挙動不審というか、落ち着かない感じがすごく才能あるピアニストらしくてよかった。ラスト近くのコンサートのシーンは音楽好きにはグッと来るものがありました。
主人公のジェシカ役のセシル・ドゥ・フランスは、少し見ただけで親近感が湧く女優で、ぴったりな役どころだと思いました。ストーリーとしては、それほど面白くないんだけど、なぜか好意的に見れるのはこの女優のおかげなんじゃないかと思います。
ストーリーはまぁまぁといったところですが、出演者や全体の雰囲気がとてもいい感じの映画です。

“モンテーニュ通りのカフェ [DVD]” (ダニエル・トンプソン)
2006年のフランス映画。1970年代の反体制(左翼)運動が始まった頃のパリが舞台。
ブルジョワな生活を送っていた少女アンナが、フランコ独裁政権に反対する伯父の死によりスペインから逃げてきた伯母家族と共に生活するようになる場面からスタート。両親は、伯父の死をきっかけに急速に左傾化し、社会主義をめざす大統領選挙が行われるチリへ旅立ってしまい、戻った時には父がすっかりゲバラかぶれとなってる。驚き桃の木山椒の木という塩梅のアンナなどお構いなしに、ブルジョワな生活を捨て去り、質素な暮らしを始める両親に最初は反発するアンナですが、色々な人に出会ううち、少しずつ変化を受け入れ、成長していく。
ストーリーは徹底的にアンナの視点で描かれており、時代背景の説明なんて一切ない。1970年代にどんなことがあったか、ヨーロッパでなにがあったのか、チリがどんなだったのか、そんなことを知らない俺でも普通に見れたのは、徹底的なアンナ(何も知らない子供)視点だったからじゃないかな。
予備知識として時代背景を知っていた方が何が起きてるのかを理解しやすいとは思うけど、アンナと同じ視点に立って何が起きてるのかと右往左往(政治的な意味でも)する方が楽しいような気がする。わからないことはアンナがオトナに聞いてくれる。テンポ良くというか、光陰矢のごとしというテンポでストーリーが展開してくのも当時の時代を描写しているように思える。
アンナ役のニナ・ケルヴェルは大人に媚びない子供をよく演じていて非常にいい。8割方怒ってるんですが、時折見せる子供らしい笑顔にはほっこりしたりする。アンナは逆境に戸惑いつつも乗り越えようとする強い子だなぁ、と感心する。
ヨーロッパ映画らしく静かに強く訴えかけてくる映画で、涙することもないし興奮することもない。ただ静かに語りかけてくるので、そういうのが好みじゃない人は眠気を誘われるだけじゃないかと思う。ちなみに、タイトルのフィデルは、フィデル・カストロのことで「自分の生活がこんなに激変してしまったのはカストロのせいだ!アカヒゲ野郎!」という意味。
ラストはこのストーリーの縮図のようになっていて、このストーリーは形を変えて死ぬまでループするんじゃないかと思った。人間ってのはそうやって生きていくんだなぁ。